入試が終わり、また新しい春を迎えています。毎年この季節は、受験を終えた子どもたちを送り出すとともに、新たな子どもたちを迎えるための準備に追われます。高校受験を終えた子どもたちの中には、引き続き塾に通ってくれる子もいて、新しく高校生活を始めるその子たちに対しては、また精一杯できる限りのサポートをしてあげなければと改めて気持ちが引き締まります。
塾は勉強する所、子どもや親御さんの期待に応えるべく子どもたちにがんばって勉強してもらう所ですが、私はそれだけではないと思っています。塾にやって来る子どもの中には、もとから勉強好きであるわけでもなく、目標がはっきりしているわけでもない子もいます。むしろ多くは、どちらかと言えば勉強はしたくないし、進学の目標も具体的には立っていないのが普通ではないかと思います。もともとモチベーションの高い子はもちろんですが、必ずしもそうではない子にも、安心して塾に通ってもらい、いくらかでも気持ちの安らぐ場所を提供したいと思っています。
塾ですから勉強を教えるのはもちろんですし、やる気になるよう働きかける必要があるのはもちろんですが、そもそも自然に勉強へと気持ちが向くようにする上で、その場所の雰囲気というものがとても重要であると思っています。いろいろ条件があるでしょうが、安心できること、自然と気持ちが安らぐことは中でも大切ではないかと思います。そしてもう1つ大切と思えるのは、さりげなく知的な刺激、また感性的な刺激があることです。
図書館の開架スペースや自習スペースは、建物の性格とも相まって、そういう刺激がほどよくあり、私は普段塾の教室の雰囲気作りをする上で図書館から学ぶことが多いです。そしてもう1つは美術館。えっ?と思われるかもしれませんが、美術館という場所も、気持ちを落ち着かせ、人を自分の内面と静かに向き合わせるという意味で、勉強には適した場所だと思っています。反対にこれだけは参考にするまいと強く心に決めているのが学校です。自分の経験から言っても、学校の教室ぐらい気持ちを落ち着かなくさせる場所はないように思いますし、人を気持ちよく勉強に誘うことの少ない場所はないように思います。
正直なところ、私は学校にはあまりよい思い出はありません。小学校から中学校へ進む時には、新しく始まる英語の勉強に期待感を抱いたり、小学校ではあまり勉強をがんばらなかったけれど中学校では少しがんばってみようかな、などと子ども心に考えた記憶がありますが、実際の中学校はそういう期待や希望に応えてくれるよりは、むしろ反対にそういう淡い気持ちを打ち砕く場所だったという思いが強いです。もちろんよい友だちに出会えたり、尊敬できる先生に出会えたりということはありました。でも時代のせいもあったでしょうが学校の雰囲気そのものは、あまりよいものではなかったように思います。私は勉強は学校ではなく自分でするもの、あるいは塾でするものだと思っていましたし、実際またそうしていました。
昨年のことですが、一時鎌倉市立図書館の一職員のツイッターが話題になりました。それは不登校の子どもたちに向けられたメッセージで、図書館へいらっしゃい、図書館にはあなたたちに学校へ行きなさい、勉強しなさいなんて言う人はいませんから、安心して遊びに来て、好きなように過ごしてください、という内容でした。私はそれを知って思わず涙がこみ上げました。人間味があるとはこういうメッセージのことをいうのだと思います。
人は、なにがなんでも勉強しなければならないという圧迫のある所では進んで勉強などできません。そこが、私が我が子を塾に通わせている少なからぬ親御さんが勘違いしているのではないかと思っている点でもあります。人は、何かを強制されてできる存在ではありません。まして子どもはなおさらです。そこを考えないで無理矢理させるとどうなるかは、想像するのも恐ろしいことです。一度破壊されてしまった人格が生き返るのは、決して不可能とは思いませんがとても困難なことです。私は1人の人間として、間違ってもそういうことだけはするまい、死んでもするまい、と強く強く、心に決めています。
鎌倉市立図書館の一職員が発したメッセージからイメージできる場所は、私にとっての1つの理想の場所です。子どもたちが安心できる、子どもたちのための避難所にして居場所。~しなさい!と言われることのない場所。それでいて知的刺激のある、自然と勉強してみようかな・・という気持ちになる場所。実際はなかなかに難しいことは、よくよく分かっているつもりです。でも、こういう理想につながっていくような仕事をしようと念じながら、私は日々塾の教室で過ごしています。試行錯誤の連続です。でもやりがいのある仕事です。
ところで、勉強しなさい、集中しなさいということは私もよく言いますが、これは言い方が大事なのだと思います。大人の心配や危機感が顔や声の調子に露骨に表れている時は、まず間違いなく子どもの心には響きません。そういうことを言わなければならない時は、その言葉の後に、でもそうは言っても、別にいいんだけどね、という言葉を、嫌みや諦めからではなく、愛情を込めて笑顔で続けられるぐらいの気持ちの余裕を持ちたいものです。言うことを聞かせようとしないことです。そうすれば多少は響くものがあると思います。意外性がものを言います。普通の大人が言いそうにないことを言ってみる。そうすると子どもの心の扉が開きます。子どもの笑顔がその証です。人間とはそれぐらい複雑なものです。深呼吸をして、ちょっとだけ試してみてください。
(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)