近頃テレビを見ていて、とても古い白黒映像に、ごく最近になってカラーで色づけしたものにお目にかかることがありました。そこに映し出された風景の、いやに臨場感のある、リアルな様子に、たいへん驚かされました。それらは20世紀初頭のヨーロッパの大都市を行き交う人々や市内電車の風景であったり、かと思えば大正時代の東京の繁華街を撮ったものや、同じく日本のどこかの農村や漁村の風景であったりとさまざまなのですが、その中でも特に私にとって興味深かったのは、第1次世界大戦前から第2次世界大戦後にかけての時代の映像でした。
大昔のフィルム映像というものは、白黒であるのはもちろんですが、当然ながら経年劣化で相当に傷んでいてただでさえたいへん見づらく、その上にどういうわけだか、機械の回転数か何かのせいなのか、人や物の動き方がとても不自然で落ち着いて見ていられない、といったふうなのが普通でした。それが近頃の映像修復の技術というのが凄まじく進歩していて、デジタル処理された画面は格段に滑らかになり、人や物の動きも自然に見えるようになり、その上もともとはついていなかった色までついているのだから、まったくもって驚く他ありません。そしてその驚きは、新しく蘇った映像が映し出す、まるで今この瞬間の世界のどこかかと見まがうばかりの風景を前にしたときに、頂点に達しました。80年前の出来事が、今この瞬間に世界のどこかで起きていてもおかしくないと思えることが、私には衝撃的でした。
歴史的な出来事を記録した貴重な映像と言っても、古くさくて妙にぎくしゃくした映像で見るそれは、自分とはまったく無関係な、どこか遠い他の惑星の出来事ぐらいにしか思えませんでした。第1次世界大戦で初めて使用されたと言われる戦車の映像も、修復前の白黒フィルムで以前見たときは、ああなるほど今のものとはだいぶ違った原始的なものだなと思ったのですが、新しい映像で見るそれは、まるで最新鋭のもののように見えます。戦車だけではなく、人物もそう。ヨーロッパの大都市の目抜き通りを行き交う紳士の服装。チャップリンの戦前の映画を見ていても思いますが、粗い白黒画面だと、昔の人の服装はどことなく滑稽に見えます。それが精細なカラー画面に移し替えられると、同じ服装が、まるで"今"のもののように見えます。とにかくリアルで、80年前の人間の暮らしと今現在の人間の暮らしが、本質的には何も変わっていないのではないかと考えさせられます。
一番驚いたのは、画面にヒトラーが現れたときです。人類史上未曾有の大虐殺を行った独裁者。そのあまりにも想像を絶する桁外れの犯罪は、これまで何度も繰り返しテレビで見てきたお馴染みの白黒映像の、どこか他の惑星の出来事だったかとも思えてくる、あまりにも浮き世離れした印象も相まって、事件そのものを、今の我々とは直接関係のない、歴史上の遠くの出来事と思わせるに十分だったように思います。それが同じ映像をカラーで見たときに、そこに映し出された人物の表情、服装、しぐさの生々しさ。同時にまた、彼を奉じる多くの人々の、狂喜し熱狂するリアルな顔、顔、顔。そして彼を取り巻く親衛隊兵士たちの、とても威圧的でありクールでもある?有名な黒ずくめの制服。それらすべてが、これまでに感じたこともないほどの現実感をもって画面にまざまざと映し出されていました。ヒトラーとその一派は、歴史の闇の中ではなく、今ここに実在するかのように感じられました。これは衝撃的と言うのも生ぬるいくらいの、ちょっとした体験だったと、一応は言っておきましょう。
一応は、と言うのにはわけがあります。ヒトラーとその一派は、当時のあらゆるメディアを駆使して自分たちの魅力を発信する宣伝能力に非常に長けていました。(それは、戦後になって、欧米の数多くの企業が参考にするほどでした。) そうやって徹底的に演出され、実際の何百倍にも増幅された魅力的なイメージでもって、彼らは大衆を瞬く間に虜にしていったと言われています。今の我々からすれば、ヒトラーなどはすでに遠い歴史上の人物であり、人類史上未曾有の犯罪を引き起こした張本人で悪魔にも比するべきという評価は揺るぎようのないことのように思えます。つまりヒトラーのような人物は我々とは遠くかけ離れた異例中の異例であり、その魔力に現在の我々が絡め取られるようなことは、まず絶対にあり得ないと、普通の人は考えるのではないでしょうか。ナチスだとか、ホロコーストだとかは、すでに克服されていて、そういうものが現代において復活してくることはないと、普通の人は、ほとんど無意識に高をくくっているのではないか、と思ったりもします。
たいへんきれいなカラー映像で蘇ったヒトラーを見て私は心底ぎょっとしましたが、それは画面の中の人物や出来事に、強い反感を持つと同時に、内心魅力?のようなものも感じてしまっている自分に思いがけず気づいたからでした。彼とその一派が、持てる才能のすべてを発揮して、根っからの反対派でさえも同調させるのに成功していったその広報戦術が、80年近くを経た現在でも、その威力を発揮し出しかねないのを感じて、少なからぬショックを受けました。映像の力とは恐ろしいものです。
今日でも世界の多くの地域で、偏狭な排外主義が力を持っています。中でも欧米の各地でますます力を得てきている反イスラム、移民排斥の動きは、とても心配です。一方ではISのような、狂信的で非常に残虐なテロ集団が、世界中から少なからぬ数の若者を戦闘員として集めているともいいます。信じられないことです。
しかしそういったことが信じられないのは、ISのようなテロ集団を自分とは無関係なものと思っているからで、ナチス同様に宣伝能力に長けていると言われるその広報戦術を実際に前にしたときに、誰もが本当にその魔力をやり過ごせるかどうかと考えてみると、確かなことが言えなくなります。ISは実際、インターネットを巧みに使って、パソコンやタブレット端末に日常的に慣れ親しんでいる若者の心に入り込んでいき、いつの間にか仲間に引き入れているようです。
科学技術が極度に進歩した今日において、子どもたちにも人気のユーチューブなどを覗いてみると、根拠のはっきりしない、得体の知れない怪しい情報が、まことしやかな映像の数々とともに、溢れかえっています。怪しい都市伝説の類いが、少なからぬ人々を引きつけて止まない時代です。どうして人は、そういういい加減な物語にいとも簡単に引きつけられてしまうのか(一昔前には、UFO伝説というものが流行りました。子どもだった私も、わくわくしながらそのてのテレビ番組に見入っていたことを覚えています)。それは考えてみるに値することでしょう。
ISのような、あらゆる点で相当に無理がある集団でさえ、一部とはいえ世界中から若者を引きつけている今日、かつてのヒトラーのような人物が出てきたときに、たいへん多くの人が引きつけられないでいる保証はまったくないと、残念ながら私は思います。この80年の間に人間は、その意味ではほとんど成長していないのかもしれません。人間は忘れっぽいといいますか...。
こういう時代に人として正しくあろうとすることは、なかなかに難しいことかもしれません。人としての正しさ? それを言うなら、あのヒトラーと彼に同調した人々だって、自分たちは正しいと思っていたはずだし、現代の最凶悪集団とも思えるISだって同様のはず、ということを考えないわけにはいきません。
現代は、多くの人が正しさに飢えている時代なのかもしれません。20世紀の初めの時代というのは、調べてみると、ありとあらゆる思想や運動が百花繚乱だったことが分かります。怪しいオカルトの類いも、流行しました。そのいずれもが、自分こそが正しいと信じていたのです。ヒトラーもそういう中から、初めは目立たず、現れてきたのでした。その一派の動きがすでに社会の中で相当に目立つようになっていたときでさえ、多くの人は、その一派がすべてを制するようになるとは、予想もしなかったようです。そういう人々をも、ナチズムは取り込んで、間もなく膨れ上がっていきました。人間とは弱いものです。
歴史は繰り返すといいます。かつては情けない古い映像でしか見たことのなかった遠い出来事が、きわめてリアルなものとして感じられる現代。世界はこの先どういうふうになっていくのか、まったく予断を許しません。今はひょっとして、たいへんな時代に向かいつつあるのかもしれません。
アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人