中学3年生の多くにとっては、いよいよ高専一般入試、富山県立高校一般入試の本番間近となりました。
ここまで受験勉強を頑張ってきて、おおよそ思うような結果が出ている生徒もいれば、目標にまだ届かずに苦労している生徒もいます。誰もが皆、当初掲げていた目標に挑戦できればいいと思いますが、時には厳しい現実を前にして目標を変更せざるを得なくなることもあります。そういう時の生徒の気持ちの揺れ、そして親御さんの気持ちの揺れは、いかばかりかと思います。
高校受験は多くの子どもたちが経験する大きな試練ですが、とはいえそれは、これから先の長い人生の中では1つの通過点にすぎないということも事実です。高校受験で思うような結果が出ればそれは生徒本人にとっても親御さんにとってもたいへんに大きな喜びとなります。しかしたとえ思うような結果が出なかったとしても(残念ですがそういうことだって当然あり得ます)、不本意で悲しい結果から何を学びそれをその後の人生にどう活かしていくかは、その人のその後の生き方次第です。実際に事に臨む前にはいろいろなことが頭をよぎりますが、現実に出た結果に対しては、責任を持ってやるべきことをやっていくのみです。その意味では、たとえどんな結果だったとしても、とりあえず結果が出るということは、その後どう行動していけばよいかを教えてくれるまたとない機会ということになります。
人生は長くしかもまったく一筋縄ではいかないもので、ある時には失敗と思えたことがその後の人生から見ると成功のための必要な土台だったと思えることもありますし、逆にある時には成功と思えたことがその後の失敗の原因だったと後になって思うこともあります。すべてはその人の生き方次第だと言いましたが、決してそれだけではなく、意志の力だけではどうすることもできない運命のようなものに翻弄されたりもします。私たちはできることなら、たとえどんなことがあっても気持ちだけはしっかりと前向きに持っていたいものです。
話は変わりますが、私も当然のことながらかつて高校受験を経験しました。それこそもうお話にならないくらい昔のことになりますが、それでも自分が中学3年の1年間をどう過ごしたかの記憶は割と鮮明に残っています。それはやはりそれまで生きてきた中で人生始まって以来の大きな出来事であったからだろうと思います。
私も中学3年の夏休みから、友だちづてに知った、できたばかりのとある塾に通い始めました。塾で過ごす時間は、受験勉強の実質を支えてくれたというよりは、むしろ中学校とはまったく違った雰囲気の中で友だちと一緒に机を並べて勉強することが、貴重な刺激にもなり、またある種の癒やしにもなっていたような気がします。その塾は自宅から遠く、連日朝から夕方近くまであった夏休みの講習は、自転車で片道40分近くかけて、天気が悪い日は雨合羽を着てペダルを漕ぎ、我ながら頑張って通いました。秋になって学校が始まるとさすがに気軽に通うというわけにはいかず、確か週末の土曜日にだけ、電車に乗って行っていたのを覚えています。今はもうその塾はありません。
こうして今塾をやっている私のような者が言うのもよほどどうかと思いますが、塾というものは、勉強の主導権をすっかりそれに譲り渡してしまったりさえしなければ、言い換えれば勉強のことはすべて塾にお任せという受け身の姿勢にさえならなければ、大いに役立つものではないかと思います。つまり勉強というものは、受験勉強以前の普段の勉強も含めて、どこまでも子どもたち自身が責任を持って引き受ける以外にないものです。親がやれと言うから、他人がやれと言うから仕方なくやるという受け身の気持ちのままでは、そもそも成績を伸ばしたりよい結果を出したりできるはずがありません。無責任なようですが、今の私にはこのように言う他ありません。
塾で勉強する子どもたちには、ぜひとも塾を上手に利用する気概を持っていてもらいたいです。勉強は自分でなんとかしよう、よくしようと強く思って、たとえ下手くそでも実際に行動していれば、自ずと上手くいくようになるものです。勉強の仕方が分からないというたびたび耳にする不平のような言葉にしても、あなたは本気でなんとかしようと思っていますか?と、そして実際に自分から何か行動を始めていますか?と、逆に問いかけたくなります。勉強の仕方というものが、どこか外にあるわけではありません。それは子どもたち1人1人の内側に眠っているもので、それを目覚めさせるのは子どもたち自身のなんとかしたいという強い気持ち、そして自発的な行動だけです。
塾を利用すると言ったのは、自分の勉強は他の誰でもない自分自身の問題だと考えて、自分の問題に責任を持って向き合う姿勢で塾の授業を受けてもらいたいということです。これは人間に関する諸事すべてについて言えることかもしれません。誰もあなたに代わって勉強することはできないし、誰もあなたに代わって決断をすることはできないし、誰もあなたに代わって結果を出すことはできないということです。そしてこれまでになかったような大きな結果を出したければ、日々の過ごし方を、自分史上これまでになかったようなものに実際に変えていく必要があります。これは決して簡単なこととは思いませんが、塾は結果を出したいと強く思って実際に行動する子の手助けができるだけです。あるいは私たちの本当の仕事は、子どもたちが実際に変わっていくのを、常に期待を持って見守ることなのかもしれません。
ところで私は中学3年の時、勉強の合間によく音楽を聴きました。自宅には祖父の趣味で大きなステレオセットがあり、クラシック音楽のレコードもいくらかありました。私が決まって聴いたのはベートーヴェンの交響曲で、今思うとかなりベタだし、当時の自分は恥ずかしいくらいにナイーヴだったと我ながら思いますが、苦悩を突き抜けた先に歓喜が待っていると、本気で信じていました。心底頑張れるためには、ある意味でバカになる必要があるのかもしれません。今の子どもたちにそれは可能だろうかと、ふと思ったりもします。
(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)
アルファ進学スクール水橋校HP→http://mizuhashi.alpha-es.co.jp/