先日{4月26日(火) }高知在住の実の姉が亡くなりました。
姉が高知へ移住して以来、私が一度も足を運べなかった義兄宅を訪れました。初めての義兄宅は広い庭のある邸宅でした。庭を散策しつつ、亡き姉の生前の歩く姿を想像していました。すると、玄関前の玉砂利の上に立った時、ふと、銀色の光を感じました。足元に、それはありました。屈んでよく見ると、玉砂利と玄関のコンクリートの間に100円玉があります。
おそらく、姉か義兄がうっかり落としたものでしょう。拾い上げたものの、ポケットに入れてしまえばわずかとはいえドロボウだし、家の中へとって返し、リビングのテーブルの上に置いて、再び庭へ戻りました。
通夜も終わって、今日は午後から本葬か……。遺体とはいえ、本当にお別れなんだな、と実感がこみ上げてきます。その時ふと、ひらめくように、こんな思いが心に浮かびました。
《あの100円は、姉からの最期のおこづかい、ではないのか》
私の母は、私が中学1年の時に他界し、それからは私の長姉とこの姉(次女)が母親代わりのようなものでした。父が事業に失敗し、6畳と4畳半の二間のアパートに家族5人が暮らしていました。(今、思い出しても信じられない) そんな貧困家庭でしたので、二男二女の年上の兄姉たちは、中学を出ると迷わずすぐ就職しました。誰も、文句ひとつ言わず(家で、そのことへの話題も不満も出た記憶はない) 自然に就職しました。
中卒でも、とにかく働いているのですから、給料は入ります。姉は「姉ちゃん、今日給料もらったから、茂喜にこづかいや」と言っては、200円、300円とくれるのです。その時は大変うれしかったのですが、いま考えると、当時の中卒の給料などたかが知れています。その200円、300円は、姉にとっては思い切った出費だったにちがいない。そう思うと、胸が熱くなって、足元の玉砂利に涙が落ちていきます。
私はその時確信しました。あの100円玉は神様の仕業だ、と。姉が死んだときには、私が必ずこの家を訪れるだろう。そのとき気が付くように、あの100円玉を置いてくれたのだ。あれは神様が仕組んだ〈姉からの最期のお小遣い〉だ、そうとでも考えなくては、こんな偶然があるはずはない。姉が死んだら私が発見するように、置かれていたのだ。思いつきは確信に変わり、私は家の中へ引き返して、さっきテーブルに置いた100円玉をポケットに入れ、姉の形見として持ち帰りました。
富山に戻り、小さなプラスチックケースに入れて部屋に置きました。世の中には神様が本当にいるのだという証として。そして「いつまでも空の上から見守っているよ」という姉のメッセージとして。
{薬師 茂喜 筆}