これだけICTが発達して、いろいろな仕事がパソコンやタブレットでできるようになってきましたが、どうして会社の会議室からホワイトボードがなくならないんでしょうかね。
パソコンが簡単につながるプロジェクターがあるのにもかかわらずですよ。書いたものを映すのならホワイトボードよりスクリーンのほうがはるかにいいわけですよ。とくに私のような字が汚いものにとっては、PCでどんどん打ち込んでいってプロジェクターで写したほうが読みやすいんですよ。少なくとも文字については。それなのにスクリーンがあってもホワイトボードは堂々と会議室に鎮座していますよね。
これは私が会社員だったときからはっきり気づいていたことがあって、エンジニアでも営業でも現場でも「仕事ができる人が持つノートは大きい」んですね。
全員がそうとは言いませんが、すくなくとも私の周りでは、やっぱりそういう傾向があるんです。
ついでに言えば、仕事の進め方が良くない人ほどパソコンを使う傾向にありますね。
会議中もずっと入力していて、よくよく見ると、皆さんがそれぞれ同じことをワードとかパワポに入力していて、結果として全員が各々で各々の議事録を作成していて「なんじゃそりゃ」と思うことがあります。こういう会議のほど、そのあとの生産性がめちゃめちゃ悪いんですね。とにかく事が進まないですわ。
これ、ちゃんとした理由があるんですよ。
それはデジタルの強みと弱み、アナログの強みと弱みを認識しているかどうか、ということと、アナログの強みを日々トレーニングしているか、ということに尽きると思います。
デジタルの強みは「圧倒的な分析力」と「表現力」ですね。これはアナログではとても敵いません。その反対にデジタルの弱みは「情報の整理」です。分析結果から「何が分かるか」「何が言えるか」は、今のデジタルではまだまだアナログには勝てません。圧倒的にアナログの勝ちです。
AIが進んでいるじゃないか、という方もいらっしゃいますが、AIは経験値から状況判断をするだけにすぎませんから、経験値以上のことはできませんし、ブレイクスルー的な発想なんか今のAIではまったく無理ですし、おそらく将来も無理だろうと思います。
人が絡む仕事ができる人に共通しているのは「この情報の整理がうまい」というのが、私の認識です。逆にこれが苦手な方はどちらかというとアート系の仕事が得意ですね。「この人じゃないとできない」という職人的な仕事をされている方はその傾向にあるように思います(あくまでも私の周りの話ですが)。
ノートが大きいと、それだけ情報の整理がしやすいんですよ。小さいメモ帳にいろいろ書き込んでも、関連性まで書き込もうとすると全然狭いですよね。大きいノートならそれが簡単にできるんです。矢印を書き込んだり線で結んだり。
ホワイドボードも一緒です。分かったことを参加者でワイワイガヤガヤ言いながら(ホンダでは「ワイガヤ」って言っていますね)整理して、関連性を見つけたり、見えてきたことを書いたりするには、やっぱりホワイトボードが適しているんです。
とはいっても、大きいノートを渡しても、ホワイトボードを置いても、普段からトレーニングしていないと使えないというのも事実なんですね。
実際のところ、最近私がプロジェクトマネージャーを務めたある会社(会社名は言えませんが、一応東証一部上場の企業です)のプロジェクトの会議で、メンバーにホワイトボードを使わせても、まったく使えないんですよ(先ほど書いた会議になると各々が各々のPCを持ち込んで各々で議事録をとる会社です)。当然ながら全然プロジェクトは進まないので、PC禁止令を出してホワイドボードの使い方から説明しました。
ではトレーニングっていつするの、というと、これは社会人になってやるものではないんです。それでは遅すぎます。今の社会の変化をもとに考えると、今の子供たちが社会人になる頃(10年以内)には、これらの力が身についていることが社会人になる前提になっていると思います。
これらは小学生の時から学校教育を通して身につけなくてはいけないんですね。すなわち「ノートを正しく使って勉強する」ということです。
ノートの目的は、小学生も中学生も高校生も大学生も社会人もすべて同じです。
情報を整理するための道具なんです。
これからさらにICTが導入されて、学校の授業でもどんどんタブレットが導入されるようになりますが、最後は手書きが物を言うことになるのは間違いないですね。
このことをちゃんと理解して、ノートの正しい使い方を正しく教えて、正しく使えるようにさせるというのが教育の大事な役割の一つなんじゃないかな、と思うんです。
よりICTを発展させて社会の生産性をあげるためにもね。