今から20年ほど前になりますが、企業のエンジニアだったころ、アメリカ・オハイオ州にある日本企業の現地法人に駐在員として赴任していたことがあります。
「国際化に向けて英語が必要」と叫ばれて久しいわけですが、この経験を元に教育に携わる者として、今の国際化に即した教育について思うことを書きたいと思います。
結論から言います(この結論から話すという流れは、海外で仕事をした経験がある方ならピンとくると思います)。
国際化に向けて準備をするならば、英語よりも、もっともっと必要なものがあります。ぶっちゃけて言えば、英語は3番目ですね。
まず何よりも必要なのは、我々の母国語である「国語」です。
通訳や翻訳をして思うのが、日本語すらまともに話せない、書けない日本人がとにかく多いということです。
日本語と英語の大きな違いをざっくりと言えば「主語がはっきりしていないかとはっきりしているか、述語が後ろにあるか前にあるか」です。
日本語から主語がはっきりしている英語に訳そうとすると、元の日本語の主語がはっきりしていないと訳そうにも訳せません。結局、通訳する前に、日本人が他の日本人が話す日本語を正しい日本語に「翻訳」するところ始めなければいけないという、おかしなことをしなければいけないのです。
正直なところ、私は日本人なので、そこまでしなくとも日本人が言いたいことは大方推測できますので、私が言葉を補って通訳することは可能です。
しかし、海外においてはビジネスは戦争そのものです。終身雇用・年功序列型賃金制度の日本とは違い、能力主義のアメリカでは一つ一つの成果で給料は変わります。給料どころか仕事を失うこともあります。言葉一つで成果は変わります。すなわち海外においては言葉はそのままお金や生活に直結します。言葉に対する真剣さが日本とはまるで異なるのです。
当たり前といえば当たり前ですが、普段から主語をあいまいにしていても意思疎通ができる日本人が国際化を目指すにあたっては、この言葉に対する認識を改めることと、徹底的に国語の力をつけることが大事だとと思います。
次に大事なのは「論理的思考」です。
海外でビジネスをして一番感じるのが、この「論理的思考」です。極端なことを言えば、内容が矛盾していようが形だけでも論理的になっていれば、それが認められるんですね。"because"がつけばいいわけです。それだけで内容がどうだろうが一応は理由が伴うわけですから「論理的」になるわけです。
もちろんビジネスにおいては、そんないい加減な論理は通用しません。きちんと体系立った筋の通った論理性が求められます。
ではそのような論理性はどうやって身に着けるかといえば、実は「数学」なんですね。その中でも特に「証明問題」で身に着けることができます(数学というはもともと証明の学問なんです)。
もちろん証明問題を正しく解こうとすると、国語力は絶対に必要です。特に前述の主語をはっきりさせないと証明にはなりません。やっぱり国語力の必要性につながるんです。
次にようやく英語が出てきます。
私は英語は「道具」と認識しています。コミュニケーションをする上での「道具」なんですね。仕事でもなんでもそうですが、道具というのはある目的をするうえで使うものです。例えば魚を三枚におろすときに「包丁」は必要ですよね。この包丁が道具なのは当たり前のことですが、ここで気を付けたいのは「包丁そのものはひとりでに魚を三枚におろさない」ということです。
人間が包丁という道具を使って魚をさばくわけです。必要なのは上手に三枚におろすこととであり、良い包丁を使うことではありません。もちろん良い包丁を使うことは大事なのですが、その包丁に伴う腕がなければその包丁の良さを使い切ることはできません。
「国際化」という言葉に惑わされて、英語にこだわっている方を多く見かけますが、残念ながらこれは目的と手段が入れ替わってしまっている気がします。磨くべきは、まず国語と論理性です。
ついでに4番目に何が来るかといえば、社会です。特に歴史ですね。
アメリカ人とのビジネスに日本人の考え方をそのまま持ち込んで痛い目に合っている日本人をたくさん見てきました。
ホテルの朝食バフェで並んでいる列に横入りして欲しいものを取っていく隣国のアジア人をよく目にします。とても不愉快に感じる方も多いのですが、これは単に日本人が日本人の常識と照らし合わせているからだけのことです。彼らにしてみれば、それが常識なんですね。
海外の常識は日本人にとって非常識です。逆に言えば日本人の常識は海外の非常識です。日本人のマナーの良さは海外から絶賛されていますが、日本のビジネスにおける常識は海外のビジネスでは酷評されています。
会議の長さなんかはその典型例でしょうか。日本では会議というのは「みんなで意見を出し合って物事を決める」というのが常識ですが、アメリカでは「最終合意を全員で確認する」というのが会議の常識です。その場で決めるのではなく、その場が始まったときはすでに全部決まっているんですね。合意をするだけですから長くなるはずがありません。実際に私が重要な会議を5分で終わらせたときは現地のマネージャークラスから絶賛を受けました。それ以降アメリカ人(特に上層部)の中での私の評価は急激にあがりました(上層部の日本人からは苦々しく思われていたようですが)。
常識というのはその地域や風土の中で暮らす人々が平和に暮らすための知恵であり共通した考え方です。その常識がどこから来るのか、と考えるには、やはり歴史は事欠かしません。歴史的背景が異なれば常識も異なります。その国の常識を知るには、その国の歴史を理解することです。同時に日本との違いの理解も必要です。これを一般には「クロスカルチャー」と呼んでいます。
別に慌てて英会話教室に通わなくても大丈夫です。それよりも、まず母国語である日本語の質を高めること、論理的な考え方を身に着けることを優先するべきです。
最後に一つだけ付け加えておきます。
私は決して英語が得意だったわけではありません。高校3年生の秋の英語の全国偏差値は28で、そのときの全国模試では下から100位以内という成績でした。こんな人間でもちゃんと海外でビジネスはできるんです。