日経新聞の一面トップに
「偏差値 終焉の足音」
という記事が掲載されました。
平成3年に、文部科学省の通達で
公教育現場から偏差値が
追い出されて30年、
現実的には、いまだに
偏差値は生き残り続けています。
偏差値は受験する学校を
決めるうえで、
大変便利なモノサシです。
おそらく偏差値以上に
便利なモノサシは
今後も現れないでしょう。
それは統計学を駆使して
作り出されたからです。
しかし、今後は受験の
目的が大きく変わります。
これまでの受験は
「○○高校(大学)に合格する」
ということが目的でした。
進学した先で何を学ぶかではなく、
○○大学(高校)という名前の
学校に入学することが目的だったわけです。
これは日本の生活史から
読み解くことができます。
敗戦で貧しい国だった日本は
必然的に物質的に
豊かな生活を求めます。
この流れは高度成長期から
バブル期にかけて
加速度的に強くなりました。
物質的に豊かな生活を送るには、
高い給与所得が必要になります。
高い給与をもらおうとすると、
必然的に有名一流企業に
入社することが求められます。
当時の日本企業の大きな特徴は
終身雇用制と年功序列型賃金制度を
導入していたことです。
一度入社すると、余程のことがない限り
定年まで物質的に豊かな生活は
事実上保障されていました。
その一流企業に入社しようとするためには
有名大学を卒業することが必須条件でした。
そのためには有名大学に
入学しなければいけません。
(そこで何を学ぶかというのは、
入学してから決めればよいわけです)
有名大学に入学するためには
いわゆる進学校と呼ばれる高校に
入学することが必要となります。
こうして受験制度が日本国内に
根付きました。
その中で、自分が受験生の中で
どれくらいの位置にいるのかを
統計的に正しく知るうえで、
偏差値というのは大変機能的で
客観性に富んだ数字だったわけです。
ところが、いま社会を見てみると、
一流企業に入社したからと言って
物質的に豊かな生活が定年まで
保障されることは決してありません。
一流と呼ばれる企業がこぞって
終身雇用制と年功序列賃金制度の
廃止を進めているからです。
そうすると、物質的に豊かな生活のために
一流大学に入るという、受験の大前提が
崩れることになります。
すなわち偏差値制度は
意味を持たなくなります。
では、偏差値が意味を持たなくなった時、
勉強はどう変わるでしょうか。
学研CAIスクール富山本部校は、
すでにこのことを前提にして
学習指導をしています。
ヒントは海外の大学にあります。
私が英語を学んだ語学学校があった
オハイオ州立大学には、
全世界から多くの学生が集まってきます。
その海外(アメリカ以外)から来た学生に
どうしてオハイオ州立大学で学んでいるかを
尋ねたところ、
「○○学の権威がいるので、そこで
□□を学びに来た」
という答えがほとんどでした。
日本の大学のように、
偏差値で大学を選ぶという概念は
一切存在しませんでした。
これは今から20年前のことです。
日本の進学も、自分が学びたいこと、
身に着けたいことを学ぶため、
それが実現できる環境がある学校を選ぶ、
というものに変わるでしょう。
そこの選んだ学校で、
正しく学ぶために必要となるのは
「正しく調べて」
「正しくまとめて」
「正しく考える」
この3つです。
そしてこの3つは社会に出てからも
ずっと必要となります。
「教育は進学や点数のためではなく
社会のために施されるものである」
この当たり前のことが、
これからの10年で
いよいよ日本でも
起きようとしているのです。