日本の投票率の低さにはかなり危機感を持っています。
確かに投票したい候補がいないというのは
良く分かります。
だれに投票しても同じという気持ちも
良く分かります。
しかしだからと言って投票を棄権するのは
かえってマズいことにつながる可能性が
あります。
さらにそのマズい結果に対して苦情をいう
権利すら放棄することにもなります。
実は無投票(=低い投票率)を狙っている
政党や候補者が存在します。
政党はすべてがマトモとはいえません。
中には候補者掲示板を
同じデザインのポスターでジャックするような
一般常識が通用しない政党も散見します。
しかしながら、このような政党には
熱心な支持者が存在し、
またこのような支持者は
確実にその政党に投票します。
すなわちその政党は一定の固定票を
持っているわけです。
選挙が行われ、もし無投票が多ければ
どうなるでしょうか。
有効投票数に対するこの固定票を持つ
政党(候補者)の割合は相対的に高くなります。
比例代表制では基本的には
政党の得票割合によって当選枠が
割り当てられるので、
そのような首をかしげる政党(候補者)が
当選する確率が上がるわけです。
もし有権者の無投票がさらに進むと
どうなるでしょうか。
固定票を持つそのような政党の
当選者数はどんどん増えて、
やがて国政に一定の影響力を
持つようになります。
たとえその内容が一般常識から考えて
とても尋常ではないものであったとしても
選挙制度を通して正しく選ばれたのであれば
それは誰も文句を言うことができません。
言い換えるならば、無投票というのは、
そのような日本になっても構わない、という
意思表示にもなるわけです。
もう少し踏み込んで言えば、
投票しなかった方は文句をいう
権利すら放棄したことになりますので
何も言うことはできません。
義務を放棄するというのは
権利も放棄するということです。
投票するというのは
支持する政党や候補者に
一票を投ずるということだけでなく
とんでもない政党が
力を持つことを予防するという
重要な目的もあるのです。
教育は点数や進学のためではなく
社会のために施すものです。
次の世代の人材を育成する
立場である我々教育者は、
この無投票の怖さをきちんと
子どもたちに伝えることは
しなければいけないのでないでしょうか。