前回のブログで、今解らないことが解るようになりたい、出来ないことが出来るようになりたいと思う心が、将来こうありたいと思う心にとつながると述べました。塾屋として、今できることを考えてみたいと思います。
数学の問題を解くとき答えはひとつと決まっていても、その頂に登るルートは様々なものが考えられます。それらのルートを知り、その選択によっては、楽もできるし、時には苦にもなることに気が付きます。
私はよく生徒に、「どう? "楽"したくない?」と問いかけます。生徒は怪訝な顔しますが、「**な方法もあるし、**もいいね。おっと、**も考えられるね。」「どう? どれを選ぶ?」なんて言いつつ、煽ります。
そしてそれらを目の前で試して見せます。
一通りのちょっとしんどい方法しか知らなかった生徒は、確かにその楽な方法に興味を示します。でも、"楽"な道を進むには、もう一段上に行かないとその方法が手に入らないことに気が付きます。
新たなる手法を手に入れることを、あきらめてしまうかどうか、ここが分かれ目です。
教える者としては、いたずらに高みを目指させてはいけません。第一に生徒の理解が追いつくとは限りませんから。教わる者が、あとちょっとの努力で手に入るものが、そこにあることを示すことができたなら、俄然生徒は興味を持ちます。
第一段階として、工夫することの楽しさ、その結果によって得られる喜びを感じてもらえ、その思いが目の前で体験できた事が大事だと思うのです。
それが、塾が日々教えることを通してできる「こうありたいと思う心」を育てる第一歩ではないでしょうか。
今は「どう? "楽"したくない?」という問いかけしか思いつきませんが、もっと精進して、いろいろな場面でいろいろな工夫を工夫しなければと思う毎日です。
しかし、塾という存在が、肝心なこの「工夫する」と言うことよりも、逆の意味の「工夫しなくても済む」方向に、竿さしているのではないか、と思う時もあります。
子供たちが工夫しようとする前に、じっくりと考えようとする前に、その答えや方法を述べてしまっているのではないか、工夫や考えることの"芽"を摘んではいけないと、自戒を込めて指導しています。
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